無知であることの恐ろしさ
発達障害と聞いて思い浮かべるのはたいていの人は「知的障害」だと思います。
知的な遅れがあるということ、それこそが発達障害だと勘違いしている人が多いと思います。
私自身、知的な遅れは全くありません。
それでも発達障害だということ。
そういったカテゴリーがあるということを世間のほとんどの人は知りません。
なにより生きづらかった。
こういった経緯があるので、私は発達障害が知的のみのことを言うのではないと知ってます。
世間ではあまり知られていません。なぜなら生きづらさをかかえてない人は興味がないからです。
興味がないことは分かりません。
一度親に相談したことがありますが、まったく話になりませんでした。
知的な遅れ=発達障害なので良い大学出て頭もよくて、、、
なのに発達障害だなんて認められないんです。
本当はそんなことありません。
でも知識がない人には分かりません。
それはしかたないことなんです。
そして一番傷つく言葉は
「大丈夫」「考えすぎ」
自分がADHDだなんて誰にも言いたくありません。
でも相手に伝える、相談する。
かなりの勇気が入ります。
頑張って言った結果の返事がこの言葉、、、。
「大丈夫」と言う言葉は時に否定語になります。
相手を本当に安心させたいならまずは相手の話を
きちんと受け止めることではないでしょうか。
自分が言いづらくて、、でも悩んで悩んでいった言われた言葉が
かるーく「大丈夫だよ、気にしすぎ」と言われたらどうですか?
相談内容にもよりますが、かなり重い話しをした時に。
結局私は自分がADHDだと疑って5年間だれにもまともに相談なんて
できませんでした。ずっと1人で悩んできました。
本ばかり読んで自分の知識は増えました。だからといって何も変わらないです。
時々夜泣いてしまう事があります。
誰かに相談したいけど誰にもいえない。
言っても分かってもらえない。
でもどうすればいいか分からない。
当事者にしか分からない気持ちなんだと思います。