今日も空が晴れますように

ADHDかもしれない、そんな不安にかられる思いをそのまま書いた日記です

無知であることの恐ろしさ

 

 

 

発達障害と聞いて思い浮かべるのはたいていの人は「知的障害」だと思います。

知的な遅れがあるということ、それこそが発達障害だと勘違いしている人が多いと思います。

 

私自身、知的な遅れは全くありません。

それでも発達障害だということ。

そういったカテゴリーがあるということを世間のほとんどの人は知りません。

 

教育学部出身だった。小学校でバイトしてた。

なにより生きづらかった。

 

こういった経緯があるので、私は発達障害が知的のみのことを言うのではないと知ってます。

世間ではあまり知られていません。なぜなら生きづらさをかかえてない人は興味がないからです。

興味がないことは分かりません。

 

一度親に相談したことがありますが、まったく話になりませんでした。

知的な遅れ=発達障害なので良い大学出て頭もよくて、、、

なのに発達障害だなんて認められないんです。

 

本当はそんなことありません。

 

でも知識がない人には分かりません。

それはしかたないことなんです。

 

そして一番傷つく言葉は

「大丈夫」「考えすぎ」

 

自分がADHDだなんて誰にも言いたくありません。

でも相手に伝える、相談する。

かなりの勇気が入ります。

頑張って言った結果の返事がこの言葉、、、。

 

「大丈夫」と言う言葉は時に否定語になります。

相手を本当に安心させたいならまずは相手の話を

きちんと受け止めることではないでしょうか。

 

自分が言いづらくて、、でも悩んで悩んでいった言われた言葉が

かるーく「大丈夫だよ、気にしすぎ」と言われたらどうですか?

相談内容にもよりますが、かなり重い話しをした時に。

 

 

結局私は自分がADHDだと疑って5年間だれにもまともに相談なんて

できませんでした。ずっと1人で悩んできました。

本ばかり読んで自分の知識は増えました。だからといって何も変わらないです。

時々夜泣いてしまう事があります。

誰かに相談したいけど誰にもいえない。

言っても分かってもらえない。

でもどうすればいいか分からない。

 

当事者にしか分からない気持ちなんだと思います。