今日も空が晴れますように

ADHDかもしれない、そんな不安にかられる思いをそのまま書いた日記です

会話のキャッチボール

相手の言ってることがよく分からないし、

反応に困ることがよくあります。

 

相手が悪いとかじゃなくて

どう返事していいかわからない。

 

本当に昔から雑談が苦手でした。

テーマ性のないたわいもない話。

 

天気の話しとか本当に苦手です。

最近は苦手と自覚しているので

簡単な雑談のマニュアルを作ってそれを話しているのですが、

自分のことに気づいてないときには本当に困りました。

 

会話は本当に疲れます。

たまに「話し聞いてる?」とか聞かれますが頑張って聞いてます。

追いついてないだけかなと思います。

 

あと会話中に他のことを考えてしまうこともしばしば。

わざととかじゃなくて思いついたら辞められなくて。

自制心がききません。

いつも頭の中がざわざわしていて落ち着かない。

眠るときにも落ち着かない。

だから寝つきが悪くて不眠になったりもします。

 

 

逆に文章を書くことは何の抵抗もありません。

むしろ好きです。

間違えても書き直せるし、おかしなところがあれば消す事もできます。

でも会話は消したり入れ替えたりができません。

 

順番に話すことが苦手なので、順序を入れ替えれる作文は本当に大好きです。

メールとかも大好きです。難しい話とか話合いとかはなるべくメールでしたいです。

口頭で話し合うなんて、聞いて理解するだけで疲れてしまって、

頭の中がパンクしてしまいそうです。

メールは一度で理解できなくても何回も読めるから本当に嬉しい道具です。

 

 

何かを説明することとかかなり難易度が高く、映画とか

「どういう話しだった?」と聞かれると大抵

「ネットで調べてみて」と返します。

昔は頑張ってましたが全然通じずに「どういうこと?」とか

何回も聞き返されるので辞めました。

 

努力すればなんとかなるとか思ったけどそもそも脳機能が

普通じゃないんだから努力で頑張っても自分がつらくなるだけです。

あきらめとかなまけとかではなく、どうしようもないこと。

 

 

それが分かってからは得意分野を頑張ってのばしていこうと

今はライティングの副業を少しだけしています。

無知であることの恐ろしさ

 

 

 

発達障害と聞いて思い浮かべるのはたいていの人は「知的障害」だと思います。

知的な遅れがあるということ、それこそが発達障害だと勘違いしている人が多いと思います。

 

私自身、知的な遅れは全くありません。

それでも発達障害だということ。

そういったカテゴリーがあるということを世間のほとんどの人は知りません。

 

教育学部出身だった。小学校でバイトしてた。

なにより生きづらかった。

 

こういった経緯があるので、私は発達障害が知的のみのことを言うのではないと知ってます。

世間ではあまり知られていません。なぜなら生きづらさをかかえてない人は興味がないからです。

興味がないことは分かりません。

 

一度親に相談したことがありますが、まったく話になりませんでした。

知的な遅れ=発達障害なので良い大学出て頭もよくて、、、

なのに発達障害だなんて認められないんです。

 

本当はそんなことありません。

 

でも知識がない人には分かりません。

それはしかたないことなんです。

 

そして一番傷つく言葉は

「大丈夫」「考えすぎ」

 

自分がADHDだなんて誰にも言いたくありません。

でも相手に伝える、相談する。

かなりの勇気が入ります。

頑張って言った結果の返事がこの言葉、、、。

 

「大丈夫」と言う言葉は時に否定語になります。

相手を本当に安心させたいならまずは相手の話を

きちんと受け止めることではないでしょうか。

 

自分が言いづらくて、、でも悩んで悩んでいった言われた言葉が

かるーく「大丈夫だよ、気にしすぎ」と言われたらどうですか?

相談内容にもよりますが、かなり重い話しをした時に。

 

 

結局私は自分がADHDだと疑って5年間だれにもまともに相談なんて

できませんでした。ずっと1人で悩んできました。

本ばかり読んで自分の知識は増えました。だからといって何も変わらないです。

時々夜泣いてしまう事があります。

誰かに相談したいけど誰にもいえない。

言っても分かってもらえない。

でもどうすればいいか分からない。

 

当事者にしか分からない気持ちなんだと思います。

電話が苦手

苦手なことはたくさんあります。

そのうちの一つが電話。

これだけは本当に苦手です。

 

普通の人の「ちょっと苦手」レベルではありません。

なぜならただでさえ会話についていくのに必死なのに

ボディーランゲージや表情の手がかりもなく

「声」のみの情報しか与えられません。

「さっき言ったの何だっけ?」と少しでも間をあけようもんなら

「もしもし?聞こえてますか!?」と相手からよく言われます。

聞こえてます。理解できてないだけです。

 

何を言っているのか頭に入ってこないんです。

これは普通の会話でもほぼ同じです。

左手で電話を持ち必ず右手にペンを持ちます。

 

職場で電話が鳴ると受話器よりも先にペンを持ちます。

電話のそばには必ずメモ帳とペンをセットで置いておきます。

 

私は電話がなるとパニックになる傾向があるので、こう言われたらこう言い返すという

フローチャートのようなものを必ずその会社ごとに作っていました。

 

『最初に「お世話になっております、○○です」と言う』

『分からない場合→「少々お待ち下さい」と言って保留ボタンを押す』

『もう一度いってほしいとき→「すみません、もう一度お願いします。聞き取れませんでした。」と言う』

という風にかなり細かく書いておき、それを読みながら電話をします。

 

これが取引先(こちらが顧客)などでしたらこちらが理解できなくても丁寧に繰り返してくれますが

そうじゃない場合は相手はかなりイライラします。その場合、結局他の人に代わってもらうことがほとんどです。

 

また聞いていても右から左に流れていることがほとんどですのでペンでメモするんですけど

書きながら聞くという行為そのものができないので書いている間は聞いていません。

なので結局読めない文字で単語がポツポツあるだけのメモができあがります。

メモもあまり意味はないのですがお守り代わりのような感じです。

 

自分が電話をかけるときには、かける前に必ず言う台詞を全て文章にして紙に書きます。

「お世話になっております、○○です。ちょっとお尋ねしたいんですけど、、、、、」

のような感じで全てを紙に書きます。

なので、「ちょっと電話しといて~」みたいに頼まれると大体20分後くらいにかけることになります。

メモなしで電話すると、かむし話題もいろんな方向にとんで、聞きたいことをきけなかったりします。

言うことに必死でせっかく応えてもらっても相手の話が入ってきていないこともあるので、

もう一度電話しなおして聞くはめになります。

 

 

お店の予約などで自分が顧客側の場合、こちらがいくら聞き返しても相手は怒りませんが、

ビジネスの世界では、そんなこと通用しないのでかなり慎重に頑張っています。

 

電話が苦手なのでエステやマッサージなどはネット予約できるところしか行きません。

たまに電話予約しか受け付けていないところは頑張って予約しますが、かなり体力を消耗します。

 

声のみの情報は本当に大変です。

読み取れる情報が少なすぎるんです。

理解したいから間をおきたい、なのにおくこともできず

どんどん耳から情報が入ってきます。

処理ができません。

新卒で入った会社

新卒で入った会社のことを書こうと思い、昨日の夜思い出していました。

何を書こうか迷いましたが、つらいことが多く、

文章にすることができません。

 

その間の記憶もあいまいです。

すごくつらい毎日でした。

文字にしてしまうとフラッシュバックしてしまいます。

だれにも言えないつらいことがたくさんありました。

 

韓国での生活

韓国に留学といってもたったの3ヶ月です。

この3ヶ月とにかく毎日が楽しかった。

 

コシウォンとよばれる大学生や受験生用の1人暮らしのアパートに

すみました。

同じ階には日本人の子も数名いてとても仲良くなりました。

 

一緒に買い物いったり勉強したり、、、とにかく毎日が刺激的で

楽しいんです。

 

ADHDの特性である「刺激を求める」ことを考えると

この毎日は幸せの連続です。

 

韓国料理が大好きなので毎日それが安価な値段で食べられるのもうれしかったです。

また、この韓国留学の1週間前に彼氏もできてとにかくとても毎日が楽しかったです。

 

就職も決まってる。

彼氏もいる。

自由な毎日。

 

充実しまくってました。

7月1日の入社に向けて、とにかくいろんなことを頑張ってました。

でも3ヶ月遅れの入社のリスクをこの時全く考えていませんでした。

 

韓国留学

突然の留学宣言。

 

ことの発端は、大学4年の夏に行った韓国への短期留学です。

たった3週間しか行かなかったのに初めての海外生活は得るものが多く、

「なぜもっと早くしなかったのか」

をひたすら後悔、、、。

長い大学生活いくらでもチャンスはあっただろうに、、、。

 

言葉の壁、文化の違い、反日感情、、、いろんなものを肌で感じ取り

かなり濃厚な3週間でした。全くできなかった韓国語が3週間でかなり分かるようになったのも進歩です。

その間、好きな人もできました。

 

おそらく大学生活で一番楽しかった時期です。

帰国後、卒業までの残された時間がないことに愕然としました。

就職も決まっていたので卒業後に留学なんて無理です。

 

 

そして頭に浮かんだのは

 

「留学するために入社を遅らせてもらう」こと。

 

普通ならこんなこと思いつきません。

ですが、私は普通ではないのでこんなことを思いつき、

さらにはすさまじいはやさで実行してしまいました。

親に言うと反対されるので誰にも相談せずに全部1人で考えました。

 

社長宛に文書を書き、承諾してもらい、

自分で留学先を決め、手続きも全てやりました。

 

このエネルギーはどこからくるんでしょうか。

やりはじめると目の前が見えなくなるんです。正直恐ろしいです。

 

これを知った回りの方からの評価は全てポジティブなもので

「行動力があって、すごい!私には絶対まねできない!」でした。

 

後から考えると全然すごくありません。

当時はこの行動力に悩みもせず回りからも絶賛されていたので気づけませんでした。

 

そして皆が入社式を迎えた桜咲く4月、私は飛行機でお隣の国、韓国へと飛び立っていきました。

他人と比べてできないことが多すぎる

「他人と比べてできないことが多すぎる」

 

社会人になってからいつもこう思っていました。

とにかく他人と比べてできないことが多すぎて、

自分に自信が持てませんでした。

 

せっかく就職してもすぐに辞めてしまう。

自分でもなぜ辞めてしまうのか分からない。

とにかく急につらくなってしまう。

 

元々、国立大学の教育学部卒で教員免許を取得するために

教職の授業を複数取っていました。

そこで学んだ障がい児教育の分野で知った「ADHD注意欠陥多動性障害)」という言葉。

 

当時はこのADHDの症状が自分に少し当てはまるかも、、、くらいに軽く考えていました。

3年生になってからは学童保育でのアルバイトも始め、そこに

自閉症の子などが数人いたため、個人的に障がい児教育に興味を持ち

勉強していました。

 

「やっぱり自分にも当てはまるなー、、」と思いましたが、ここでも気にせず、、、。

 

大学時代は友人にも恵まれ特にトラブルもなく就職先も決まり、

自分はいわゆる「普通の人」という認識が強かったので、まさかADHDだなんて

思うはずもありませんでした。

 

 

大学を卒業してからがトラブルの連続でした。

 

当時のことを少しずつ書いていこうと思います。